柏の葉公園に、柏市立柏病院。どちらも柏で暮らす人たちの暮らしになじんだ場所ですが、かつて軍の施設があった土地だと知っていましたか?
戦時中の柏には、陸軍の飛行場や部隊の施設がいくつも置かれていました。終戦から長い年月がたち、その多くは公園や住宅地、病院へと姿を変えています。それでも街の一角には当時の建物や門柱が残り、緑豊かな公園の中でも戦争の跡に出会うことができます。
この記事では、柏市内にある戦争にまつわる7つの跡地や遺構を取り上げ、当時の様子と今の姿をたどります。
柏はかつて、首都・東京を守るための軍事拠点だった
今でこそ商業施設や住宅地が広がる柏ですが、昭和の初めごろは「軍郷」と呼ばれるほど、軍の施設が集まる地域でした。
きっかけのひとつが、1938年(昭和13年)に完成した陸軍柏飛行場です。
当時の日本では、空からの攻撃から首都・東京を守ることが大きな課題で、東京の近くでも飛行場や防空施設づくりが進んでいました。
平らで広い土地を確保しやすかった柏にも、飛行場をはじめ、高射砲部隊や航空教育隊、陸軍病院などが次々とつくられていきます。
1945年(昭和20年)に戦争が終わると、こうした施設も軍の拠点としての役目を終え、その後は土地の使い道が変わったり、建物が別の目的で使われたりと、街の姿は大きく変化。今の柏には、そんな歴史をへて生まれた場所がたくさんあります。
かつての軍事施設は、今どんな場所になっている?
1. 旧陸軍柏飛行場|今の柏の葉公園や周辺の街並みに
緑豊かな公園に、大学や研究施設。今の柏の葉地区一帯には、かつて広大な陸軍の飛行場がありました。
1938年(昭和13年)11月に完成した柏飛行場は、首都・東京の空を守る航空基地です。
北側には滑走路が広がり、南側には兵舎や格納庫、弾薬庫が並んでいました。
戦争の終わりごろには、アメリカ軍のB29爆撃機を迎え撃つため、ここから戦闘機が飛び立つこともあったといいます。
終戦後、飛行場の跡地は引揚者や旧軍人たちの開拓地となり、農地として利用されるようになりました。その後、米軍の通信所用地として使われることになり、1955年(昭和30年)に「柏通信所」が開設されます。
通信所としての利用は長く続き、すべてが日本に返されたのは1979年(昭和54年)のことでした。
返還後は大がかりなまちづくりが進み、千葉県立柏の葉公園をはじめ、学校や研究施設、住宅地が整えられていきます。
公園でスポーツを楽しむ人や、大学・研究施設に通う人が行き交う今の柏の葉からは、戦闘機が飛び立っていた光景はなかなか想像できません。

2. 柏陸軍病院|今の柏市立柏病院に
柏市布施にある柏市立柏病院も、戦時中から続く歴史を持つ場所です。
始まりは、1939年(昭和14年)4月に開院した「柏陸軍病院」。柏飛行場や周りの陸軍部隊にいる兵士の治療のためにつくられた病院でした。
戦後、その役割は大きく変わります。1947年(昭和22年)に結核患者の療養のための「国立療養所柏病院」となり、1978年(昭和53年)には「国立柏病院」に。軍の病院から、一般の患者を受け入れる病院へと移り変わっていきました。
1992年(平成4年)に国立柏病院が廃止されると、柏市が土地と建物を取得します。翌1993年(平成5年)7月に開院したのが、今の「柏市立柏病院」です。
名前も建物も、診る患者も、時代とともに変わってきましたが、この場所はずっと医療の場であり続けています。

今も柏の街に残る、戦時中の建物や門柱
跡地が公園や病院に変わった一方で、戦時中の建物や門柱が、そのまま、あるいは場所を移して残っている例もあります。ふだん何気なく通り過ぎる場所にも、当時を知る手がかりが隠れているのです。
3. 高射砲第二連隊の照空予習室|消防分署をへて文化財に
柏市根戸の住宅街に、少し変わった形のコンクリートの建物があります。旧陸軍高射砲第二連隊の「照空予習室」と呼ばれる施設です。


高射砲第二連隊は、1938年(昭和13年)に今の根戸地区へ移ってきた部隊で、空からの攻撃から首都を守るための訓練などをしていました。
照空予習室は、敵の飛行機を想定した訓練に使われた建物。中では照明や投影機で空の様子を再現し、飛行機の位置をとらえる練習をしていました。
屋上では、遠くの目標までの距離を測る訓練も行われていたといいます。
戦後しばらくは使われていませんでしたが、1967年(昭和42年)には消防分署として生まれ変わります。
中に2階の床がつくられ、1階は消防車の車庫や事務室、2階は地元の町会などが使う場所になりました。
消防分署としての役目は2009年(平成21年)まで。その後も町会などが使っていましたが、それも2015年(平成27年)に終わりました。
軍の訓練施設から、地域を守る消防分署へ。時代ごとにまったく違う役割を担ってきたこの建物は、今では国の登録有形文化財として保存され、戦時中の特殊な訓練施設の姿を伝えています。
なお、柏市の現在の案内によると、建物の中には入れません。
4. 高射砲第二連隊の正門|高野台児童遊園に移して保存
根戸地区にあった高射砲第二連隊の名残は、照空予習室だけではありません。高野台児童遊園には、連隊の正門だった門柱が保存されています。
門柱がもともと立っていたのは、今の布施入口交差点のあたり。戦後も長くそこに残っていましたが、道路を広げることになり、約60メートル西の高野台児童遊園へ移されました。
かつて軍の施設の出入り口だった一帯は、今では住宅や生活道路が広がり、施設の全体の姿を思い浮かべるのは難しくなっています。それでも公園に残る門柱を見れば、ここに陸軍の部隊が置かれていた時代があったことがわかります。

5. 第4航空教育隊の営門|梅林第4公園に残る
柏市高田の梅林第4公園にも、戦時中の門柱が残っています。1940年(昭和15年)2月に今の高田・十余二地区に置かれた「陸軍第4航空教育隊」の営門です。
第4航空教育隊は、飛行機の整備や通信、電気、計器など、航空部隊に欠かせない専門の技術を兵士に教える場所でした。入隊した兵士は基礎訓練を受けたあと、それぞれの専門を学び、各部隊へ配属されていくのです。
ただし、梅林第4公園は門柱がもともとあった場所ではありません。当時の営門は今の梅林第3公園のあたりにあり、のちに移されたものです。
航空教育隊があった一帯は、戦後の開発で住宅地や工場の用地などに変わり、軍の施設だったころの面影はほとんどありませんが、住宅街の公園に立つ門柱は、多くの兵士がここに集まり、航空の技術を学んでいたことを伝える貴重な手がかりです。

自然豊かな公園の中にも残る、戦争の跡
戦争の跡は、街中の建物や門柱だけではありません。
柏の葉地区の「こんぶくろ池自然博物公園」にも、柏飛行場とかかわりの深い遺跡が残っています。
木々に囲まれた静かな公園の一角に、戦時中の施設の一部が今も眠っているのです。

6. ロケット戦闘機「秋水」の燃料庫|こんぶくろ池自然博物公園に保存
太平洋戦争の終わりごろ、柏飛行場では「秋水(しゅうすい)」というロケット戦闘機を配備する準備が進んでいました。
秋水は、アメリカ軍のB29爆撃機を迎え撃つため、ドイツのロケット戦闘機を手本に開発された機体です。
プロペラではなくロケットエンジンで飛ぶしくみでしたが、開発はうまく進まず、完成しないまま終戦を迎えました。
それでも柏飛行場では、実戦配備に向けた実験や訓練が行われ、周りには機体の燃料(推進剤)をしまっておく燃料庫もつくられました。その一部が残っているのが、今のこんぶくろ池自然博物公園です。
柏市の調査によると、公園内の一号近隣公園エリアには、コンクリート管を使った燃料庫が2基保存されています。
1基は土の中に埋め戻した状態で、もう1基は整備され公開中です。
緑あふれる今の姿からは想像しにくいですが、ここにはロケット戦闘機の燃料をしまう施設があったのです。
7. 戦闘機を隠した掩体壕|こんぶくろ池自然博物公園に一部保存
こんぶくろ池自然博物公園には、柏飛行場にかかわる遺跡がもうひとつあります。空襲から飛行機を守るための「掩体壕(えんたいごう)」です。
柏飛行場で掩体壕づくりが始まったのは、1944年(昭和19年)の夏ごろ。飛行場の外側にのびる誘導路沿いの林の中にいくつもつくられ、当時の記録では、柏飛行場の周りに79基あったとされています。
柏の掩体壕は屋根のない「無蓋掩体壕」という形で、土を高く盛って馬のひづめのような形(馬蹄形)に囲ったものでした。
その内側に戦闘機を入れ、木の枝や網でおおって、空から見つかりにくくしていたといいます。
多くは戦後の開発で失われましたが、こんぶくろ池自然博物公園には、東側の誘導路沿いにあった2基が残されています。ただし1基は半分こわれた状態で、整備はされていません。
ぱっと見は、ただ土が盛り上がっているだけの地形。人の手でつくられたものだと知らなければ、気づかずに通り過ぎてしまうかもしれません。
こうした遺構も、柏が航空基地だった歴史を伝える大切な手がかりです。
戦争の跡を訪ねるときに知っておきたいこと
今回紹介した7か所には、旧陸軍柏飛行場や柏陸軍病院のように土地の使い道が大きく変わった場所もあれば、門柱や建物、掩体壕が保存されている場所もあります。
ただ、遺構が残っているからといって、どこでも自由に見学できるわけではありません。
根戸の照空予習室は建物の中に入れませんし、こんぶくろ池自然博物公園の遺構にも整備されていないものがあります。
訪れる前に柏市の公式案内などで公開の状況を確かめ、立ち入りが制限されている場所には入らないようにしましょう。
また、住宅地や病院になっている場所では、利用する人や近所に住む人への気づかいも大切です。
敷地には入らず、資料や案内板から歴史にふれる方法もあります。
まとめ|見慣れた柏の街並みに残る、もうひとつの歴史
柏の葉の公園や研究施設、地域の病院、住宅街の小さな公園。いつも目にしている風景の中にも、戦時中の歴史は残っています。
飛行場だった土地は新しい街に生まれ変わり、軍の病院は地域の医療を支える病院へと受け継がれました。その一方で、消防分署として使われた建物や、保存された門柱・掩体壕のように、形を変えながら残ってきたものもあります。
成り立ちを知ると、いつもの道や公園が少し違って見えてくるはず。次に近くを通るときは、街に残る戦争の跡にも目を向けてみてください。
※本記事は2026年11月時点で確認できる柏市の公式資料などをもとに作成しています。遺構の公開状況や現地の利用条件は変わることがあるため、訪問前に最新の案内をご確認ください。
