駅前の商業地、住宅街、大学や研究施設が集まる柏の葉、手賀沼沿いの道路――。
現在の柏を歩いていると、昔から今のような街だったようにも感じます。
ところが歴史をたどると、柏には広大な馬の放牧地、巨大な競馬場、軍用飛行場、米軍通信所、ゴルフ場、そして手賀沼を渡る県営の船までありました。
今回は、現在の景色とのギャップが特に大きい「かつて柏にあったもの」を7つ紹介します。昔の施設を並べるだけでなく、その場所が現在どう変わったのかにも注目しながら、いつもの柏の風景の「前の姿」をたどってみましょう。
まず一覧|柏にかつてあった7つのもの
| かつてあったもの | 主な場所 | 現在とのつながり |
| 小金牧 | 豊四季・十余二など | 開墾を経て市街地へ |
| 柏競馬場 | 現在の豊四季台団地付近 | 住宅地へ |
| 柏競馬場前停車場 | 豊四季駅~柏駅間 | 現在は駅なし |
| 柏飛行場 | 現在の柏の葉地区 | 公園・学校・研究施設などへ |
| 米軍柏通信所 | 現在の柏の葉地区 | 柏の葉公園・研究教育施設などへ |
| 柏ゴルフ倶楽部 | 柏の葉キャンパス周辺 | 柏の葉の街へ |
| 県営渡船「中秋丸」 | 手賀沼 | 手賀大橋へ |
1|馬が駆け回っていた広大な「小金牧」
現在の豊四季や十余二には住宅や店舗、道路などが広がっていますが、江戸時代では、この一帯には徳川幕府直轄の牧である「小金牧」が広がっていました。
小金牧は複数の牧からなり、現在の柏市域では十余二が高田台牧、豊四季が上野牧にあたります。
小金牧全体では2,000頭弱の野生馬が育まれ、牧と周辺の集落は野馬土手や野馬堀などによって仕切られていました。
つまり、現在の市街地からは想像しにくいものの、この一帯には馬が放たれた広大な原野があったのです。
大きな転換点となったのが明治維新でした。幕府の崩壊後、新政府は窮民救済などを目的に小金牧・佐倉牧の開墾を進めます。そして開墾された順番に新しい村名が付けられました。
柏市に残る「豊四季」は4番目、「十余二」は12番目に開墾された土地です。
今では当たり前に使っている地名そのものが、「牧から新しい村へ」という土地の大転換を伝える痕跡なのです。
2|豊四季台にあった巨大な「柏競馬場」
現在、団地や学校などが並ぶ豊四季台周辺。昭和初期には、ここに大規模な「柏競馬場」がありました。
柏競馬場が現在の豊四季台団地付近にオープンしたのは1928年(昭和3年)。1周1,600メートルで、当時の国内でも有数の規模を持つ競馬場でした。
競馬場誘致の背景にあったのが、柏を観光・行楽の街として発展させようという構想です。
花野井の吉田甚左衛門や当時の柏町長・浜島秀保らは、東京から柏へ人を呼び込むためのまちおこしを進めました。参考にしたのは、宝塚歌劇団などで知られる小林一三の街づくりです。
目指したのは、いわば「柏を関東の宝塚にする」こと。その中核施設が柏競馬場でした。
開場時には競馬開催の3日間で約9万人が訪れたとされ、当時の柏町の人口は約7,000人。
人口の約13倍もの人が押し寄せた計算です。
しかし戦争の影響を受け、競馬は1942年(昭和17年)に開催を打ち切り、戦後に一時復活したものの、1950年(昭和25年)に閉場しました。
その跡地が、現在の豊四季台団地です。
静かな住宅地と、大勢の観客でにぎわう巨大競馬場。現在と過去の落差が特に大きい場所の一つでしょう。
3|競馬場へ向かうための駅「柏競馬場前停車場」
巨大な競馬場があれば、そこへ人を運ぶ交通も必要になります。
1933年(昭和8年)7月20日、総武鉄道野田線に「柏競馬場前停車場」が開設されました。現在の東武アーバンパークラインにあたる路線です。
利用したのは柏競馬場や、競馬場の内馬場に造られていた柏ゴルフ場の利用客だけではありません。東葛飾中学校、現在の東葛飾高校の生徒たちも利用していました。
柏競馬場は柏駅から1キロメートル強離れていたため、それまでは乗合自動車なども使われ、停車場の開設によって競馬場へのアクセスは大きく改善します。
興味深いのは、駅そのものが当時の柏の「人を呼び込む街づくり」とセットで誕生していることです。
しかし競馬場が姿を消した現在、競馬場前停車場も残っておらず、競馬場や駅の面影も、現在ではほとんど見つけることができません。
今、柏駅と豊四季駅の間を電車で通っても、かつて途中に「競馬場前」という目的地があったとはなかなか想像できないでしょう。
4|現在の柏の葉にあった「柏飛行場」
柏の土地利用の変化を象徴する場所が、現在の柏の葉地区です。
1938年(昭和13年)11月、当時の東葛飾郡田中村十余二に日本陸軍の「柏飛行場」が完成しました。
目的は航空力の強化と首都東京の防空です。同月には立川から飛行第5戦隊が移転し、柏飛行場は首都防空の第一線を担う航空基地となりました。
飛行場の北側には滑走路、南側には本部、兵舎、弾薬庫などがあり、格納庫も設けられていました。戦争末期にはB29など米軍機の迎撃にもあたりました。
現在の柏の葉に広がる公園や大学、研究施設、住宅地の風景から、軍用機が離着陸していた時代を思い浮かべるのは難しいかもしれません。
しかし、歴史が完全に消えたわけではありません。
柏市内には、飛行機を空襲から守るために造られた掩体壕や誘導路の痕跡、実戦配備が計画されていたロケット戦闘機『秋水』に関連する燃料庫などが確認されています。
「かつて飛行場があった」という話だけでなく、現在の街の中にその時代の痕跡が残っているのが柏飛行場の歴史の興味深いところです。
5|柏の葉に広がっていた「米軍柏通信所」
柏飛行場の歴史は、1945年の終戦で終わりません。
戦後、旧飛行場跡には引揚者らが入植した時期があり、その後、旧飛行場跡の一帯は米軍の通信所用地として使用され、1955年(昭和30年)に『柏通信所』が開設されました。 「キャンプ・トムリンソン」とも呼ばれた施設です。
そして1979年(昭和54年)8月14日、柏通信所は日本側へ全面返還されます。
返還された土地は188ヘクタールという広大なものでした。跡地には現在、県立柏の葉公園をはじめ、大学や研究教育施設などが立地しています。

ここまでの歴史を重ねると、十余二・柏の葉周辺は、
小金牧 → 開墾地 → 柏飛行場 → 戦後の入植地 → 米軍柏通信所 → 公園・研究教育施設・市街地
と、時代によって土地の役割を何度も変えてきたことが分かります。
柏の葉は「新しい街」という印象が強い場所ですが、その土地の履歴をさかのぼると、柏の近現代史そのものが見えてきます。
6|柏の葉キャンパス周辺にあった「柏ゴルフ倶楽部」
現在、高層マンションや商業施設、大学などが集まる柏の葉キャンパス駅周辺には、かつて広大なゴルフ場もありました。
「柏ゴルフ倶楽部」は1961年(昭和36年)に開場。約40年間、多くのゴルフ客に利用され、2001年(平成13年)に閉鎖されました。
その後、2005年にはつくばエクスプレスが開通し、柏の葉キャンパス駅が開業。ゴルフ場跡地を含む周辺では、現在の柏の葉スマートシティの街づくりが進みました。
なお、ここで注意したいのが、昭和初期の柏競馬場にも「柏ゴルフ場」があったことです。
競馬場の内馬場に造られた柏ゴルフ場は1929年(昭和4年)にオープンしていますが、こちらは豊四季台周辺の施設。1961年開場の柏ゴルフ倶楽部とは別のゴルフ場です。
今の柏の葉キャンパス駅周辺しか知らなければ、駅前の街の一部がかつてゴルフ場だったというだけでも驚きがあります。
さらに時代をさかのぼれば、この周辺には飛行場や牧の時代もありました。
一つの土地に、牧・軍事施設・ゴルフ場・現在の街というまったく異なる風景が重なっているのです。
7|手賀沼を渡っていた県営渡船「中秋丸」
最後は陸上ではなく、手賀沼です。
現在は手賀大橋を車や自転車、徒歩で渡れますが、かつての手賀沼では船が人々の移動を支えていました。
沼沿いには17か所とも数えられた渡し場があり、「サッパ船」と呼ばれる小型船が日常的な水運に使われていましたが、小さな船は天候の影響を受けやすく、水難事故の危険もありました。
そこで1953年(昭和28年)11月10日に就航したのが、県営渡船「中秋丸」です。
現在の道の駅しょうなん付近にあたる箕輪と、対岸の我孫子新田を結んでいました。
動力による連絡船で、定員は30人。船内には自転車などを置けるスペースもあり、東京方面へ向かう行商の人々や学生などの移動を支えました。
現在なら橋を渡る移動を、当時は船に乗って手賀沼を横断していたのです。
中秋丸の運航は1964年(昭和39年)まで。同年に手賀大橋が完成し、渡船はその役割を終えました。
普段何気なく渡っている手賀大橋も、その前に船で人や物を運んだ時代があったと知ると、少し違って見えてきます。

7つを並べると見えてくる「柏の土地の履歴」
今回の7つは、それぞれ独立した昔話のようにも見えます。
しかし場所と時代を重ねると、一つの共通点が浮かび上がります。
それは、柏では同じ土地の役割が何度も大きく書き換えられてきたということです。
特に豊四季・十余二・柏の葉周辺は象徴的です。
江戸時代には馬を育てる牧があり、明治になると開墾が進み、昭和に入ると競馬場や軍用飛行場が造られ、戦後には団地、米軍施設、ゴルフ場などが登場。
そして現在は住宅、公園、大学、研究施設、商業施設などが集まる街になっています。
手賀沼でも、水上交通を担っていた船の役割を橋と道路が引き継ぎました。
現在の柏の街は、昔のものが単純に「なくなった」結果ではありません。
牧から開墾地へ、競馬場から団地へ、飛行場や通信所から現在の柏の葉へ、渡船から橋へ。
その時代に必要とされた役割を受け継ぎながら、土地の使われ方が変化してきた結果が、私たちが今見ている柏の風景なのです。
まとめ|いつもの柏にも「前の姿」がある
今の柏からは想像しにくいものとして、小金牧、柏競馬場、柏競馬場前停車場、柏飛行場、米軍柏通信所、柏ゴルフ倶楽部、県営渡船「中秋丸」の7つを紹介しました。
特に興味深いのは、現在と昔の風景がまったく違って見えても、土地そのものはつながっていることです。
豊四季台を歩けば、その場所にはかつて巨大な競馬場があり、柏の葉を歩けば、牧、飛行場、通信所、ゴルフ場などの時代を経た土地があります。
そして手賀大橋を渡れば、その前には船で手賀沼を渡っていた時代がありました。
普段見慣れた柏の景色にも、「その前の姿」があります。
地名や昔の地図、現在も残るわずかな痕跡を手がかりに街を見直してみると、いつもの柏を歩く楽しみが一つ増えるかもしれません。
