柏の葉キャンパス駅を降りると、駅前には商業施設や高層住宅が並び、少し足を延ばせば東京大学や千葉大学、県立柏の葉公園があります。
今では「スマートシティ」として知られる柏の葉ですが、150年あまり前、この一帯には馬が放たれる広大な牧が広がっていました。
その後、土地は開墾され、軍用飛行場となり、戦後には再び農地へ。さらに米軍通信所を経て、公園や大学、研究機関が集まる街へと姿を変えていきます。
なぜ同じ土地が、これほど大きく役割を変えてきたのでしょうか。
現在の街から過去へと土地の使われ方をたどってみると、「新しい街」というイメージだけでは見えてこない、柏の葉のもう一つの姿が見えてきます。
まずは年表で見る、柏の葉の土地の変化
現在の柏の葉・十余二周辺の大きな変化を整理すると、次のようになります。
| 時代 | 土地の主な役割 |
| 江戸時代 | 小金牧の一つ「高田台牧」 |
| 1869年(明治2年)~ | 小金牧の開墾 |
| 明治初期 | 12番目の開墾村「十余二」が成立 |
| 1938年(昭和13年) | 陸軍柏飛行場が完成 |
| 1945年(昭和20年)~ | 飛行場跡を緊急開拓 |
| 1955年(昭和30年) | 柏通信所が開設 |
| 1979年(昭和54年) | 柏通信所が全面返還 |
| 1984~1990年 | 柏通信所跡地の土地区画整理 |
| 1991年(平成3年) | 千葉大学柏農場が開設 |
| 2000年(平成12年)~ | 東京大学柏キャンパスが始動 |
| 2005年(平成17年) | つくばエクスプレス開業 |
| 2006年(平成18年) | UDCK設立 |
| 2008年(平成20年) | 柏の葉国際キャンパスタウン構想策定 |
| 2011年(平成23年)~ | 柏の葉スマートシティの取り組みが進展 |
こうして並べると、牧から現在のスマートシティまで一直線に発展したわけではなく、時代ごとに土地へ求められる役割が何度も書き換えられてきたことが分かります。
そして、この変化を読み解く鍵の一つが「広く平坦な土地」でした。
江戸時代|現在の柏の葉周辺には「小金牧」が広がっていた
現在の柏の葉や十余二周辺には、江戸時代、幕府が馬を放牧する「小金牧」が広がっていました。
小金牧はいくつかの牧から構成され、そのうち現在の柏市域に広がっていた牧の一つが「高田台牧」です。
今の柏の葉キャンパス駅周辺の街並みから、馬が放たれていた広大な牧を想像するのは難しいかもしれません。
しかし、この時代の土地の特徴は、その後の歴史にも大きく関わっていきます。
それが、広い土地をまとまって利用できたことです。
江戸時代には馬を放つ牧として使われた空間が、明治になると開墾地となり、さらに昭和になると飛行場へと転用されていきます。
明治時代|牧が開墾され、「十余二」という地名が生まれる
明治維新後、小金牧の土地は大きな転換期を迎えます。
柏市の資料によると、明治2年(1869年)、明治政府は開墾会社を設立させ、小金牧・佐倉牧跡の開墾を進めました。
背景には、幕府の崩壊によって生まれた窮民の救済などがありました。
開墾によって新しい村が次々につくられ、その順番にちなんで、
初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三
という地名が付けられました。
つまり「十余二」は、12番目に開墾された村という意味を持つ地名です。
柏市内には現在も、4番目の「豊四季」と12番目の「十余二」という開墾に由来する地名が残っています。
ただし、開墾は決して順調ではありませんでした。
柏市の資料には、水不足や強風など厳しい環境の中で開墾が進められたことや、土地の帰属をめぐって開墾会社と農民との間で長い裁判闘争が起きたことも記録されています。
牧だった土地は、人が暮らし、農業を営む土地へ。
ここで柏の葉周辺の最初の大きな土地利用の転換が起こりました。
昭和初期|広く平坦な土地に「柏飛行場」が造られた
それから約70年後、十余二の土地は再び大きく姿を変えます。
1937年(昭和12年)6月、陸軍は東葛飾郡田中村十余二に新しい飛行場を建設することを決定しました。
翌1938年(昭和13年)11月、「柏飛行場」が完成します。
柏市は、この場所が飛行場に選ばれた理由について、東京周辺にあり、畑地が大半を占め、平坦な土地を広く活用できる場所だったと説明しています。
ここが、柏の葉の土地の歴史を考えるうえで興味深いポイントです。
江戸時代には馬を放つために利用できた広い土地が、近代になると飛行機を離着陸させる空間として利用されました。
用途はまったく違います。
しかし、「広く平坦な土地」という特徴は変わっていません。
柏飛行場は、成増や調布などの飛行場とともに、首都東京を航空攻撃から守るために日本陸軍が設置した飛行場の一つでした。
現在の先進的な街並みの下には、こうした戦争の歴史も重なっています。
戦後|飛行場から再び「農地」へ
1945年(昭和20年)、終戦によって柏飛行場は軍用飛行場としての役割を終えます。
しかし、飛行場跡がそのまま現在の街になったわけではありません。
終戦直後の日本では深刻な食糧不足が続いていました。
柏市の資料によると、旧柏飛行場は食糧増産のための「緊急開拓地」となり、引揚者や旧軍人ら約140人が入植しました。
かつて飛行機が離着陸していた土地で、陸稲、小麦、甘藷、落花生などが育てられるようになります。
牧から農地へ。
農地から飛行場へ。
そして飛行場から、再び農地へ。
土地の使われ方が大きく揺れ動いていたことが分かります。
1955年|今度は「柏通信所」になる
戦後開拓も長くは続きませんでした。
1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が始まると、旧飛行場跡は米軍の通信所用地として利用されることになります。
1955年(昭和30年)には「柏通信所」が開設されました。
当初、土地は農民が所有し、日本政府が借り上げて米軍に提供する形だったため、基地内で農耕や居住を続けることも認められていました。
つまり、一時期は通信施設と農地が同じ場所に存在していたことになります。
しかし1963年(昭和38年)には基地拡充に伴う土地の国家買収問題が起こり、多くの農民が土地を手放します。
その結果、開拓集落はほぼ姿を消し、土地の大部分が国有地となりました。
そして、この「まとまった国有地」が、のちの柏の葉の街づくりにもつながっていきます。
1979年|通信所返還から「柏の葉」という街が生まれた
現在の柏の葉につながる大きな転機が、1979年(昭和54年)8月14日です。
この日、約188ヘクタールに及ぶ柏通信所が日本側へ全面返還されました。
その後、県と地元市町によって跡地利用が検討され、「緑を生かした土地利用」などを基本方針として整備が進められます。
1984年(昭和59年)から柏通信所跡地土地区画整理事業が始まり、1990年(平成2年)に完成しました。
そして、このとき地域名が公募され、「柏の葉」と名付けられます。
なお、柏市十余二には現在も航空自衛隊の「市ヶ谷基地柏送信所」があります。
ただし、これは1979年に全面返還された米軍の柏通信所とは別の施設で、航空自衛隊の柏送信所は1956年、米軍に接収されなかった区域に開設されました。

通信所跡地は、公園・公共施設・研究施設へ
約188ヘクタールという広大な返還地には、さまざまな施設が整備されていきました。
その代表例が、現在の千葉県立柏の葉公園です。
千葉県によると、柏の葉公園は旧米軍通信所跡地の土地区画整理事業によって誕生した、約45ヘクタールの広域公園です。
さらに跡地には、国立がん研究センター東病院、科学警察研究所、県立柏の葉高校などの公共・研究・教育施設が整備されました。

かつて軍事目的に使われた広大な土地が、今度は市民の憩いの場や医療、教育、研究のための土地へと変わっていったのです。
1990年代~|柏の葉が「大学・研究の街」になっていく
現在の柏の葉を特徴づけるものの一つが、大学や研究機関の存在です。
千葉大学は1987年、柏市内に約25ヘクタールの用地を取得し、1991年に園芸学部附属農場の「柏農場」を開設しました。
これが現在の千葉大学柏の葉キャンパスの始まりです。
その後、2003年には現在の環境健康フィールド科学センターにつながる教育研究施設が開設されました。
一方、東京大学でも新しいキャンパス整備が進められます。
2000年(平成12年)から本郷、駒場に次ぐ「第3の主要キャンパス」として柏キャンパスが本格的に動き始めました。
現在では大学院新領域創成科学研究科をはじめ、さまざまな研究施設が集まっています。
かつて馬を育て、作物を育て、飛行機を飛ばしていた広い土地が、今度は研究や新しい知識を生み出す場所へと変わりました。

2005年|柏の葉キャンパス駅が誕生する
そして2005年(平成17年)8月、柏の葉の歴史を再び大きく変える出来事が起こります。
つくばエクスプレスが開業し、「柏の葉キャンパス駅」が誕生しました。
大学や研究機関が集まり始めていた柏の葉に、東京都心と結ぶ新しい鉄道が加わったのです。
ここから、現在私たちがイメージする「柏の葉」の街づくりが一気に進んでいきます。
2006年11月には「柏の葉アーバンデザインセンター(UDCK)」が設立されました。
特徴的なのは、行政だけ、企業だけ、大学だけで街をつくるのではなく、
行政(公)・市民や企業(民)・大学や研究機関(学)
が連携して街づくりを進める仕組みをつくったことです。
さらに2008年には、「柏の葉国際キャンパスタウン構想」が策定されました。
2011年~|「スマートシティ」へ
2011年7月、柏の葉では「世界の未来像をつくる街」という街づくりのコンセプトが掲げられました。
そこで設定された柱が、
- 環境共生
- 健康長寿
- 新産業創造
です。
こうして現在の「柏の葉スマートシティ」につながる取り組みが本格的に進んでいきます。
ここで大切なのは、スマートシティが何もない土地に突然生まれたわけではないことです。
すでに周辺には、東京大学や千葉大学、研究機関、国立がん研究センター東病院、柏の葉公園などが集まっていました。
そこへ、つくばエクスプレスと新しい市街地が加わります。
さらに大学・行政・企業・市民をつなぐ仕組みが整えられたことで、現在の柏の葉らしい街が形成されていきました。

なぜ柏の葉は、何度も大きく姿を変えたのか
約150年の変化を並べてみると、一つの共通点が見えてきます。
それは、広く、まとまった土地が存在していたことです。
江戸時代には、その広さを生かして牧として利用されました。
明治には開墾の対象となり、昭和には平坦で広い土地であることから飛行場が造られました。
戦後には通信所となり、その後、約188ヘクタールという大きな土地がまとめて返還されました。
この返還地があったからこそ、公園、公共施設、大学、研究施設などを計画的に配置する余地が生まれました。
もちろん、土地が広かっただけで現在の街になったわけではありません。
通信所返還後の土地利用、大学・研究機関の進出、2005年のつくばエクスプレス開業、そして公・民・学による街づくり。
その時代ごとの選択が積み重なった結果が、現在の柏の葉です。
つまり柏の葉は、
「最初からスマートシティとして計画された土地」ではなく、「時代ごとに土地の役割を書き換え続けた先に生まれた街」
と見ることもできます。
まとめ|「未来の街」の下には、150年を超える土地の記憶がある
柏の葉周辺の土地の歴史を大きく整理すると、
牧 → 開墾 → 農地 → 飛行場 → 戦後開拓 → 米軍通信所 → 公園・公共施設 → 大学・研究拠点 → スマートシティ
と、何度も役割を変えてきました。
現在の柏の葉キャンパス駅周辺だけを見ると、新しく計画された街という印象を受けるかもしれません。
しかし、その背景には十余二の開墾、柏飛行場、戦後の開拓、柏通信所の返還、そして広大な跡地の再利用という長い歴史があります。
柏の葉公園を歩くとき。
東京大学や千葉大学のキャンパスを目にするとき。
柏の葉キャンパス駅前の新しい街並みを見るとき。
そこが以前はどんな土地だったのかを知っていると、「未来の街」と呼ばれる柏の葉の景色も少し違って見えてくるのではないでしょうか。
