なぜ柏には「豊四季」と「十余二」がある?数字でつながる13の開墾地

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柏市には、「豊四季(とよしき)」と「十余二(とよふた)」という少し変わった地名があります。

一見すると関係のなさそうな2つの地名ですが、実はどちらも明治初期に行われた開墾によって生まれた地名です。

しかも、豊四季は「4番目」、十余二は「12番目」。地名の中に、開墾の順番を示す数字が隠されています。

そして、この数字のつながりは柏だけではありません。

鎌ケ谷市の「初富」から、成田市・多古町にまたがる「十余三」まで、千葉県内には同じ明治初期の旧幕府牧の開墾から生まれた13の地名があります。

なぜ、離れた場所にある地名が1から13まで数字でつながっているのでしょうか。

今回は柏に残る「豊四季」と「十余二」を入口に、千葉県北部の地図に今も刻まれている明治の開墾の歴史をたどります。

豊四季は「4」、十余二は「12」を表している

まず注目したいのが、地名の中に入っている数字です。

「豊四季」には「四」。「十余二」には「十」と「二」。これは偶然ではありません。

明治初期、江戸幕府が管理していた牧の跡地で開墾が進められ、その順番に対応するように新しい村の名前が付けられました。

柏市によると、1番目の初富から13番目の十余三まで13カ所あり、そのうち現在の柏市に位置するのが、4番目の「豊四季」と12番目の「十余二」です。

豊四季=4番目
十余二=12番目

普段は住所や駅名などとして何気なく目にする「豊四季」と「十余二」ですが、地名そのものに150年以上前の開墾の歴史が残っているのです。

豊四季駅(北口)
現在の東武鉄道野田線 豊四季駅(北口)

柏だけではない。1番から13番まで地名が続いている

では、豊四季の前後にはどんな地名があるのでしょうか。

13の開墾地を順番に並べてみましょう。

順番地名読み現在の主な地域
1初富はつとみ鎌ケ谷市
2二和ふたわ船橋市
3三咲みさき船橋市
4豊四季とよしき柏市
5五香ごこう松戸市
6六実むつみ松戸市
7七栄ななえ富里市
8八街やちまた八街市
9九美上くみあげ香取市
10十倉とくら富里市
11十余一とよいち白井市
12十余二とよふた柏市
13十余三とよみ成田市・多古町

並べてみると、数字が隠れていることがよく分かります。

初富 → 二和 → 三咲 → 豊四季 → 五香 → 六実 → 七栄 → 八街 → 九美上 → 十倉 → 十余一 → 十余二 → 十余三

現在は別々の市や町に属していますが、これらは明治初期に旧幕府の牧を開墾して生まれた土地という共通の歴史を持っています。

現在の自治体の境界を越えて地名を並べることで、150年以上前に行われた一連の開墾が見えてくるのです。

なぜ13もの開墾地が生まれたのか

この13の地名が生まれた背景には、明治維新による大きな社会の変化がありました。

江戸時代、現在の千葉県北部に広がる下総台地には、江戸幕府が馬を育てるための「小金牧」や「佐倉牧」が置かれ、柏市域にも小金牧が広がっており、現在の豊四季周辺は「上野牧」、十余二周辺は「高田台牧」にあたります。

しかし、明治維新によって江戸幕府がなくなると、牧を取り巻く状況も大きく変わります。

当時の東京では、幕府の崩壊や社会・経済の仕組みの変化によって生活の基盤を失った人々への対応が課題となっていました。

そこで新政府が進めたのが、旧幕府の牧を開墾し、人々を移住させる計画です。

明治2年(1869年)、三井八郎右衛門らが開墾会社を設立し、市岡晋一郎が現場で指揮しました。

こうして千葉県北部の牧跡で開墾が進められ、新しい村々が誕生していきました。

13の開墾地は「小金牧」だけではない

ここで一つ注意したいことがあります。

豊四季と十余二は、どちらも小金牧の開墾によって成立した土地です。しかし、13の開墾地すべてが小金牧だったわけではありません。

小金牧は、高田台牧、上野牧、中野牧、下野牧、印西牧の5つの牧からなり、豊四季のもとになった上野牧、十余二のもとになった高田台牧のほか、初富・五香・六実、二和・三咲、十余一などの開墾地につながっています。

一方、13の開墾地には佐倉牧側の土地も含まれていました。

つまり、13の地名は柏周辺の小金牧だけを順番に開墾した記録ではありません。

明治初期に千葉県北部の旧幕府牧で進められた一連の開墾を、1から13までの地名がつないでいると考えると分かりやすいでしょう。

豊四季と十余二は、同じ柏でも別の牧だった

さらに興味深いのが、同じ柏市にある豊四季と十余二が、もともとは別の牧だったことです。

江戸時代の小金牧は一つの巨大な牧ではなく、複数の牧に分かれ、現在の豊四季周辺は「上野牧」、十余二周辺は「高田台牧」になっています。

つまり、現在はどちらも柏市内の地名ですが、「豊四季から十余二へと柏市内を順番に開墾していった」というわけではありません。

豊四季は4番目。十余二は12番目。その間には、現在の松戸市、富里市、八街市、香取市、白井市などに位置する開墾地があります。

千葉県北部の広い範囲で開墾が進められ、その4番目と12番目が、現在の柏市に位置しているのです。

なぜ「豊四季」「十余二」なのか

13の地名は、単純に「一番」「二番」「三番」と名付けられたわけではありません。

開墾の順番を示す数字と、よい意味を持つ字を組み合わせた地名が付けられました。

実際に並べてみると、「初+富」「二+和」「三+咲」「豊+四季」「五+香」「六+実」「七+栄」と、「富」「和」「咲」「豊」「香」「実」「栄」など、明るい印象を持つ漢字が並びます。

「豊四季」は一見すると「豊かな四季」を表す言葉のようにも見えます。

しかし13の地名を順番に並べてみると、その中の「四」が4番目の開墾地であること、そして10番を超えると、「十余一」「十余二」「十余三」と数字の仕組みがより分かりやすくなります。

地名を一つだけ見るのではなく、13の地名をセットで見ることで、名前に込められた仕掛けが見えてくるのです。

昔の十余二は、現在よりずっと広かった

平凡社『日本歴史地名大系』によると、明治時代に成立した「十余二村」は、おおむね現在の次の地域に相当します。

  • 十余二
  • 中十余二
  • 新十余二
  • 柏の葉1〜6丁目
  • 西原1〜7丁目
  • 西柏台1〜2丁目
  • みどり台1丁目・3〜5丁目

つまり、現在は「柏の葉」「西原」など別の住所になっている場所も、歴史的には十余二村の一部だったわけです。

県立柏の葉公園(かつての十余二村の一部)
県立柏の葉公園(かつての十余二村の一部)

名前は明るくても、開墾の現実は厳しかった

「富」「和」「咲」「豊」「栄」。

地名だけを見ると、新天地への希望を感じさせます。しかし、実際の開墾は簡単なものではありませんでした。

牧跡の台地は水が乏しく、強風にもさらされる土地であり、東京から移り住んだ人々の中には、農業に不慣れな人もいました。

開墾は難航し、明治5年(1872年)には開墾会社が解散。その後、開墾会社と農民との間では土地をめぐる裁判闘争も起こりました。

現在まで残る明るい響きの地名の背景には、新しい土地で生活を築こうとした人々の厳しい開墾の歴史もあったのです。

同じ開墾から生まれた豊四季と十余二、その後は別の道へ

明治初期の開墾という共通の出発点を持つ豊四季と十余二ですが、その後の土地の歴史は大きく異なっていきます。

豊四季では、明治29年(1896年)12月、日本鉄道土浦線(現在のJR常磐線)の田端―土浦間が開通した際に柏駅が設置されました。

現在は「柏駅」という名前ですが、駅が置かれた場所は「豊四季村字乗馬ケ谷」でした。

現在の柏駅周辺の発展を考えるうえでも、豊四季村は重要な存在だったのです。

一方の十余二周辺では、昭和期になると柏飛行場が建設されました。

戦後は米軍施設として使われた時期を経て、返還後には公園や大学、研究施設などが整備され、現在の柏の葉エリアへとつながっていきます。

この十余二から柏飛行場、そして現在の柏の葉へと続く土地の変化については、 「柏の葉の土地は150年でどう変わった?牧→開墾→飛行場→大学→スマートシティ」 でも詳しく紹介しています。

同じ明治初期の開墾から始まった土地が、一方では柏駅を中心とする市街地の歴史へ、もう一方では現在の柏の葉へとつながっていったのです。

地名を並べると、150年以上前の開墾が見えてくる

豊四季や十余二を一つずつ見ているだけでは、13の地名のつながりにはなかなか気付きません。

しかし、

初富 → 二和 → 三咲 → 豊四季 → 五香 → 六実 → 七栄 → 八街 → 九美上 → 十倉 → 十余一 → 十余二 → 十余三

と並べてみると、一つの歴史が浮かび上がります。

現在はそれぞれ別の自治体に分かれ、街並みも大きく変わりました。それでも地名には、明治初期に行われた旧幕府牧の開墾の記憶が残されています。

柏で「豊四季」や「十余二」という地名を見かけたとき、その数字の先には、柏市の境界を越えて1から13まで続く地名がある。

そう考えて地図を眺めてみると、普段見慣れた柏の地名が少し違って見えてくるかもしれません。

まとめ|豊四季と十余二は、13の開墾地を今につなぐ地名

柏市に「豊四季」と「十余二」という地名がある背景には、明治初期に千葉県北部の旧幕府牧で進められた開墾があります。

豊四季は4番目。十余二は12番目。

さらに柏の外へ目を向けると、1番目の初富から13番目の十余三まで、開墾の順番と結びついた地名が現在も残っています。

そして、豊四季と十余二は同じ柏市にありながら、その後は異なる歴史を歩みました。

豊四季村には柏駅が開設され、その周辺は現在の柏の中心市街地へ。十余二周辺では柏飛行場などを経て、現在の柏の葉へ。

「豊四季」と「十余二」は、単に珍しい読み方をする地名ではありません。

150年以上前の開墾と、現在の柏、そして千葉県各地に残る13の開墾地をつなぐ、歴史の目印でもあるのです。

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